――高校受験の面接用の時計について、興味深い質問と回答のやりとりがありました。質問が自己削除されてしまったので、今は見ることができないのですが、参考になる人も多いだろうと考えますので、知恵ノートにて再現します。

――質問は、中学三年生の少年だと思われる人物からでした。以下のような文面でした。

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(質問文)
「高校の面接の日にこの腕時計で行ったら
まずいでしょうか? (試験に)落とされるでしょうか?」

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――質問文には写真が添付されており、鮮やかなグリーンのダイバーウォッチが写っていました。制服にこの時計を合わせた場合、袖口から、アンバランスなほど時計が自己主張をし、衣装全体のトーンが崩れることは明白だと思われました。

――そこで、以下のような回答をつけることにしました。


(回答)
こんにちは。高校受験の面接で、これが理由で落ちるということはないだろうと思いますが、ただし、この時計はまちがいなく制服の袖で目立ちます。

面接はあなた本人を見てもらいに行くところです。時計に注目してもらうところではないわけです。
時計に注目が集まるということは、そのぶん「ちゃんと自分自身を見てもらえないという意味での不利」は生じていると思います。

この時計はポケットに入れておき、時間を見たいときにだけ取りだして使ってはどうでしょうか。

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――すると、質問者から、以下のような補足質問が付け足されました。


(補足)
「回転ベゼルが付いてますが触らなければ大丈夫でしょうか?」

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――一読すればおわかりと思いますが、質問者さんが何か勘違いをしていることは明白でした。
――そこで追加の回答をしました。


(補足について)
面接のようなかしこまった人前で、時計の回転ベゼルをちゃかちゃか動かさないなんてことは、当然の常識です。あなたは面接の席で、この時計を身につけて、しかも回転ベゼルをいじりながら話をするつもりだったのですか? そんなことはまったくの論外ですから、そのことを知って下さい。こんなところで質問するより先に、常識とはどういうことかについて、周りの大人にきいたほうがいいと思います。あなたの周囲には、そういうことを教えてくれそうな大人はいないのですか?

どうもあなたは、「面接の席でこの腕時計をつけていてもかまわない理由」をいっしょうけんめい探しているように見えます。そんなことをいっしょうけんめい探さないほうが賢いことです。
迷ったら、安全側のほうを選ぶというのが、賢い人間のすることです。腕時計をつけていないことで怒られたりする、ということは考えにくいのですから、つけていかないほうが安全側です。そちらを選ぶのが賢い選び方です。

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――数時間後、この質問は消えていました。


このやりとりには、学ぶべきポイントが3つあります。


1.制服というのは、すべてスーツの一種ですから、スーツのような着こなしが基本です。

ブレザーは当然、スーツの一種ですね。学ランというのも、あれはスーツの古い形です。学ランのボタンを上から2~3個外して、襟を開いたものがスーツになっていきます。

女子の制服も同じです。ブレザーは当然そうですが、セーラー服というのも、原理的にはスーツに準じたものです。ココ・シャネルが女性用スーツというものを発明するより前の時代(まだ女性用スーツがなかった時代)に、
「女子学生にも、学生服に相当する学生用フォーマルの制服があるべきではないのか」
ということが考えられた結果、「学ラン同様、軍服の形を参照すればよい」という発想が生まれ、その結果、生み出されてきたのがセーラー服です。
(軍服というのは、世界中どこにいっても、どんな場所でも通用する、最も強いフォーマル衣装です)

ですから、「学生用の制服に合わせるための装身具をどうやって選べばいいのか」ということに迷った場合、
「スーツではどうなっているか」
ということを見ればまちがいないのです。

スーツスタイルには、原則として「差し色」という着こなし方は存在しません。
(これは、「ネクタイだけ派手」というスーツの着方が好まれないことを思えば、すぐに納得できるでしょう)

「一カ所だけ逸脱した色づかい」というものは、スーツスタイルを乱します。スーツスタイルのときに、スカイブルーの靴下や、オレンジ色の腕時計を着用しないのは、スーツスタイルの調和のためです。

それと同じことが制服にもいえるのです。
日常的には、ちょっと逸脱するのは許されると思いますが、特別かしこまらなければならないとき、例えば「制服でお葬式に出るとき」とか「制服で面接を受けるとき」といったフォーマル重視の席では、スーツに準じた着こなし方をするのがまちがいないのです。

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2.迷ったら、安全側に倒すのが知恵である。

「これ(を身につけていくの)は、許されるだろうか、許されないだろうか」
というふうに迷ったときには、
「許されないだろう」
という方向に考えるのが、間違いないことです。いちばん厳しい基準を満たすようにしていくのが、いちばん間違いないのです。

世間は、あなたに対して何も言わないかもしれませんが、厳しい目を向けています。

たとえば、とあるお葬式で、ある若者が真っ白いスニーカーを履いてやって来たことがありました。
周囲の誰も、彼に面と向かっては何も言いませんでしたが、厳しい視線を向けていました。

これを、「誰も何も言わなかったんだから、許されているじゃないか」と思うのは、間違っているのです。少なくとも、彼は「危険側に倒す選択をして、失敗した」のは明らかです。
この世の中には、「きちんと身なりを整えていく」ことが「敬意を示していることを意味する」という約束事があります。
この若者は、「死者や遺族に対して敬意を払っていない」と見なされることになりました。

このように、「誰も何も言わないが、無言のうちに、厳しい視線を向けられ、軽蔑されている」ということが世の中にはおうおうにしてあるのです。

繰返しになりますが、そのような失敗を避けるための唯一の方法は、「迷ったら、厳しいほうの基準に合わせる」ことです。

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3.非常識に陥らずにすむ唯一の方法は、周りの大人に常に相談することである。

知らず知らずのうちに失礼なことをせずにすむ唯一の方法は、自分の中の感覚を過信せず、常に人と相談をすることです。

前述のお葬式の例でも、誰かちゃんとした大人に相談していれば、
「スニーカーなんて、もってのほかだ。俺が靴を貸してやるから、それを履け」
といってくれる人がいたにちがいないのです。

とくに、学生さんとか、少年少女は、
「自分はもう世の中のことは分かってる」
と思い込みがちです。

でも、それは、本当にただの思い込みなので、きちんと大人に尋ねたほうがいいです。常識というのは、そうやって常に感覚をアップデートさせていくものです。

大人でも、周りのほかの大人に相談したりして、いつも常識感覚を修正しながら生活しているのです。
ですから、まず、周りの大人に礼儀正しく相談するという習慣を身につけて下さい。これができない人は、何歳であろうとも大人ではありません。

今回の時計の例でいえば、両親なり、親戚のおじさんなり、担任の先生なりに相談すれば、「やめておいたほうがいい」という知恵は誰かがすぐさま提供してくれたはずです。

ネットで見ず知らずの無責任な他人(へたをすればネットの向こうにいるのは幼児かもしれない)に相談するより、ずっと確実で、信頼が置けるではありませんか。

それともうひとつ。
子どもがしがちな間違いに、
「自分が望む答えを誰かが言ってくれるまで、何人もの人に質問しつづける。そして《○○さんがいいって言ったもん》という言い訳で自己正当化を図る」
という、実にありふれたやりかたがあります。

子どもは誰しもこれをやりますから、見えすいています。大人というのは、こういう手を使う子どもに、たくさん出会っているので、「ああ、またか」と思うわけです。ですから逆に言うと、これをやると、「ああ、子どもなんだなぁ」というふうに見透かされるわけです。
(自分の望み通りの答えがでてくるような聞き方をして、答えを誘導するとかいった方法も、これの変形ですね)

人は誰しも、「自分を大人扱いしてほしい」と願っています(大人でもそう願っています)。
人から大人扱いしてもらうための、ただひとつの方法は、
「大人と同等の知恵を発揮すること」
それだけです。

常に頭を使って、
「いま、いちばん思慮深いと言えるのは、どの方法だろうか」
と考えつづけ、それを実行するしか、大人扱いしてもらう方法はないのです。

そういうことを考えられるようになれるといいですね。


(この項、了)